アジア人初の年間世界王者『上田瑠偉』選手が

龍神村にやってきた!

世界トップトレイルランナー上田瑠偉が日本のローカルトレイルをFKT(Fastest Known Time)しながら旅するJapan FKT Journey、11月27日に和歌山県最高峰 龍神岳に幻の熊野古道奥辺路のバリエーションルートで挑みます。

Japan FKT Journeyの目的の一つでもある和歌山のローカルトレイルランナーとの交流を目的にコースの下見をかねた簡単な整備(枝や石ころをよける)をしながらゆっくりトレイルランニングします。

イベントコース 奥辺路の大熊~護摩壇山のバリエーションルート+龍神岳
        約20キロ FKT予定コース(登り10キロ累積1000m)の往復

龍神岳にむけてトレイルラン

和歌山県下最高峰の龍神岳へ向けてのトレイルランは翌日のタイム計測に向けた下見を兼ねての試走ということもあって、参加者の皆さんと楽しくトレイルラン

標高差もあって結構きつい上り坂の場所もあるんですが、ブナ林の中のふかふかな地面が心地よく

なにより世界チャンピオンと一緒に走れるという特別な体験。

上田瑠偉さんは男前なだけでなく、とてもやさしくて、楽しく走れました。

紀南では珍しい自然林 ブナ林を気持ちよく走れる

紀南地方の山はスギやヒノキの造成林が多く、その景色もまた幻想的なのですが、今回のコースも含めて奥辺路のコースにはブナ林など自然の姿のままの場所が多いのも特徴。

新緑の春から、すこし涼しい夏、そして紅葉美しい秋

冬は雪もあるので走るにはすこし難しいけど

四季とりどりの風景で楽しめるので、何度も訪れたくなる道です。

和歌山県下最高峰になったのは意外と最近?!

今回登頂した龍神岳(りゅうじんだけ)は、和歌山県田辺市龍神村と奈良県吉野郡十津川村との境にあって、標高は1,382mの山ですが、和歌山県の最高峰になったのは意外にも2000年(平成12年)のこと。

それまでは約700m西の護摩壇山が和歌山県最高峰だったのですが、国土地理院調査でその護摩壇山より10m高いことが判明して、和歌山県の最高峰となったらしいです。

山が大きく、高く成長したというわけではなさそうですが、なんか面白いですね。

 

幻の熊野古道”奥辺路”(オクヘチ)を未来へバトンをつなぐための道普請

ながく歴史の中に隠れていた幻の熊野古道”奥辺路”はまだまだ未整備の箇所も多く、決して誰もが安全に安心して走破できる状態ではありません。

車両が入れない場所も多く、手作業で少しずつ道を整備しています。

 

その道を使うひとが、自らの手でまもる『道普請』

 

一緒に幻の熊野古道”奥辺路”を復活させ、次の世代にバトンを渡していく。

道普請はただのトレイル整備ではなく、龍神村の未来をつくっていく活動なんだと中川君に教えてもらいました。

龍神村に魅せられ、山と龍神村を愛するひと

AND LOCALのメンバーでもある中川政寿はトレイルランナーでコーヒー焙煎師でありサツマイモの栽培をするさつま芋農家で、最近はインタープリターとしてガイドや子供たちの森林教育にもかかわる一見、ハチャメチャだけど、まっすぐで優しいひと。

つぎは『珈琲焙煎所兼やきいもカフェ』をすると言いだし、いったい彼はどこに向かうのか・・・

そのすべてをつなぐひとつのキーワードが『龍神村への愛』

数々の険しい山岳路を走り抜けてきた彼ならきっと成功できる。はず。

 

上田瑠偉 Ruy Ueda

上田瑠偉 Ruy Ueda

位置

1993年10月3日生まれ

長野県大町市出身 駅伝の名門、佐久長聖高校出身。

3年時は主将を務めたが、度重なる怪我により3年間満足に走れず、中学時代の自身の記録すら更新できずに卒業。
高校卒業後、早稲田大学に進学するも箱根駅伝は目指さず、走ることを楽しみたいという想いから陸上競技同好会に所属。

「10代最後の思い出づくり」にと出場した、東京・柴又100Kで5位入賞を果たし、コロンビアスポーツウェアにスカウトされトレイルランニングを始める。

デビュー戦となったレースでいきなり大会新記録で優勝を果たす。
続く2戦目は国内で最も権威ある大会、「日本山岳耐久レース」で6位入賞。
その後数々の大会で優勝し、記録を更新している。

上田瑠偉がトレイルランニング界の脚光を浴びるきっかけとなったのが、2014年の日本山岳耐久レース。
大会記録を18分も更新し、夢の7時間切り目前まで迫る走りで最年少優勝を果たした。

2016年には、垂直志向が高く、標高の高い山が舞台となるスカイランニングのU-23世界選手権での優勝に続き、世界最高峰のトレイルランニングレース「UTMB」のCCC®でも準優勝となる。

2019年にはSkyrunner World Seriesにてアジア人初の年間王者に輝いた。